しわちょく

2020/08/19 20:53


「ぶどうの栽培は子育てと一緒。成長期までにやるべきことをやっておかないと手遅れになるんです」

4人の子育ての真っ最中の蒲生庄平さんは2016年に妻・麻衣子さんの実家がある紫波町に移住。

新規就農の研修制度で2年間ぶどう栽培の修行をした後、義理の両親から引き継いたぶどうの木320本を育てています。




福島から紫波に家族で移住 初めての農業


福島県西会津町で生まれ育ち福島県内で冠婚葬祭の企業などに勤めていた蒲生さん。

農業に興味を持ったのは、体調を崩し入院していた病院のリハビリの一環で農作業を体験したのがきっかけでした。

「土をいじるのはすごく気持ちがいいなあと気づいて。作物を育てて収穫できるっておもしろいなあと思い、そこで初めて農業という選択肢が出てきたんです」

とはいえ、自身の所有する農地はなく農業用の機械もない。 福島で就農するのは難しいかもしれない、と考えた時に思い出したのが、お盆や正月に家族で帰省していた紫波町だった。

丘の傾斜に沿って貼られたぶどう棚のビニールシートが太陽に反射してキラキラと波のように揺れる風景が目に浮かび、「紫波町で農業をやるのもいいかもしれない」と思うようになったと言います。

麻衣子さんの実家は祖父母が専業の農家で、両親も仕事の傍らブドウやコメを育てる現役の農家。 子育ての環境面でも魅力的だったことから、家族で紫波に移住することを決めました。

研修を経て独立、「ぶどうは芸術作品」

2年間の研修期間中は町内のぶどう農家のもとでぶどうの木の仕立てや時期に応じて必要な作業について学びました。
「漠然と大変だろうと思ってはいましたが、実際にやってみると思っていた以上に手間もかかるし気象条件にも左右されるということが身に沁みてきました」

それでも農業の道に進もうと決めたのは、「芸術作品」と言っていいほど美しく美味しいぶどうを育てる先輩農家たちに追いつき完成度の高いぶどうを作りたい、という思いから。 気温の推移やぶどうの生育状況が前の年と違って、不安になったり迷ったりすることもしばしばですが、そんな時には同世代でキャリアの長い農家に相談し目の前の課題とひとつひとつ向き合っています。


まわりにまだ誰もいない早朝のぶどう畑で作業をしているうち、思い描いた形に成長したぶどうの房が目に入ると、一瞬手を止めて見入ってしまうことも。

「facebookやinstagramを見てくれた人たちから『蒲生さんのぶどうが食べたい』って言われると、もっとがんばらなきゃと思います。そうやってつながった人たちにぶどう畑に来てもらう機会をつくったり、チャレンジしたいことはたくさんあるんです」。

接客の仕事を通じて人と触れ合う仕事に携わってきた蒲生さんだからこそ実現できる農業の形にむけてチャレンジは始まったばかりです。



<蒲生さんが出品している商品>





<その他の情報>

「キャンベルアーリーとほかのぶどうとの詰め合わせも対応可能です。

 お気軽に info.yojyu@gmail.com までお問い合わせください。


与重ぶどう園facebook https://www.facebook.com/yojyu.grapefarm






Mail Magazine

新商品やキャンペーンなどの最新情報をお届けいたします。